「それが取れた朝」


 ──それは、どれほど前から存在していたのだろう、と私は思っていた。目前の世界は明らかに人工のものでは無いが、自然の産物とも思えない。幾何学的な様子を形作っているその樹木は、私たちが普段暮らしている世界のものと、一線を隔しているようだった。
 私は一歩足を踏み出し、その樹木に触れた。不思議な感触だ。もしかしたらこれは樹ではないのかもしれない。樹はその全体が輝くほどに白く、むしろ自ら光を発しているようにも見えた。枝は異常に折れ曲がって伸びているが、それはまるで何かの図形のような、奇妙に完成された形状を持っていた。
 樹木──のようなもの──に葉は茂っておらず、太い幹とそこから生える枝のみだった。全て、眩しいほどの白色だった。目の前の樹だけではない。この世界を構成しているのは、すべて白だった。壁も、天井も、床も──とは言え、周囲は球面だ──何もかもが真っ白な空間だった。ここが屋内なのか屋外なのかさえ分からなくなってくる。ただその中にぽつんと一本の樹が生えているという、神秘的であり、謎の空虚が漂う場所だった。
 後ろを振り返ると、一枚の古びた扉が白色の中に浮かんでいた。緑色に錆びた鉄扉は、この世界で唯一、色を持ったものかもしれない。ふと、私は一時間ほど前の記憶を思い出していた。


 私は、朝起きると、いつものようにそれを探しに行く。毎日の習慣だ。
 それを探しに行く場所は、近くの工場跡だ。だが正確に言えば“建設予定地”。ほとんど何も取り掛からないまま計画は中止になったらしく、今は無人のまま造りかけの、コンクリートの壁の残骸が立ち並ぶ廃墟だった。
 毎朝ここへ来るようになってから、今日が四週間目だ。もう少しであの日から丸一ヶ月が経過しようとしている。朝目覚めて、まるで散歩のように工場跡をうろつき回った。だが一向にそれは見つからず、だがしかし私はそれを探すことを諦めることはしなかった。
 私が、それを見たのは、四週間前の真夜中だ。午前二時半過ぎ、もう寝床へ入ろうとしたその時だった。窓を覆うカーテンのすき間から、微かなピンク色の光が漏れているのに気がついた。夕焼けに燃える空の色とはまた違う、不思議で幻想的な明かりだった。私はカーテンを開けて外を見る。ピンク色に世界は染まり、美しくも恐ろしい光景だ。と私は思っていた。さらに窓を開ける。
 その時まで、私はてっきり空がピンク色に光っているのかと思ったが、それは少し違った。空に浮かんでいたのは、太陽のように輝く、ピンク色の光球だった。それは天空の暗闇をゆっくりと、西の方向へ落ちているようだった。あの工場跡の方向へ。  光球が空を照らしながら廃墟へ落ちていった瞬間、空気を震わせて低い響きが轟いた。そして工場に満ちたピンク色の光はやがて消えてしまった。
 今でも、あのピンク色の光球が何なのか分からない。私はあれから毎日、その工場跡をさまよっているが、あんなものが落ちた痕跡は一つも見つからない。
 私はいつものように工場跡入口に張られたロープを越えて行った。“立入禁止”とは書かれているが、建物という建物は無く、どちらかと言えば更地に近いのかもしれない場所を封鎖する手立てはこれくらいしか無いらしく、いつでも簡単に中へ侵入できてしまう。この辺りに人通りは無く、私がここへ来ていることを知っている人物もいなかった。
 立ち止まり、廃墟の様子を眺める。四週間、二十八日ともなれば広い敷地の内部はほとんど探索済みだった。ここまでしても何も見つからないとなると、あの光は果たして幻だったのではないかとさえ考え始めていた。
 工場跡の奥の方へ進んでいった。私がここを見て回るのは毎朝の一時間。それで何も見つからなければ、今日も帰ってしまおうと思っていた。崩れかけたコンクリートの壁が並ぶ中を歩いていく。日差しは強かったが、工場跡に流れる空気は冷たく、心地良くもほんの少しだけ不気味だ。
 昨日はこの付近を探して終わったが、今日はさらに奥へ進む。工場敷地の隅の方だ。私は地面の瓦礫や鉄筋を避けながら歩いていった。その時、行く手に何やら不思議なものがあるのに気がついた。コンクリート塀の向こうに、白い巨大な球のようなものがあるのだ。急いでその場へ駆けつけた。塀を回りこんで、それの前へ出る。
 目の前の白い球は、直径およそ四メートルほどはあるだろうか。だが下の方は、地面にめり込むようにして少し埋まっていた。──これは、一体何だろうか? あのピンクの光球なのかと思ったが、目の前のものはひたすら純白で、ピンクに光っていた様子や、炎を発し燃えていた痕跡も無いように思えた。工場の一部だろうか?
 私はその球に近づき手で触れた。軟らかくはないが、硬くもないような感じだ。プラスチックのような雰囲気だったが、木の手触りにも近い気がする。
 コンクリートの灰色に包まれたこの場所で、その真っ白な球はとても不釣合いな感じがした。私はゆっくりと球体の周りを一周、歩いてみる。球はなめらかな表面に包まれており、歪みは一切無いようだった。半周──つまり球の裏側へ移動──したところで、私は、さらに何かを発見する。
 それは──、扉だった。それ以外に表現のしようが無い。見た感じは、ただの古びた鉄製の扉だった。普段ならば気にも留めないかもしれないが、なんとこの扉は球の表面に取り付けられているのだ。何を意味しているか分かるだろうか? この扉は、球の内部へつながっているのだ。
 私は慌てて扉の取っ手に手をかけた。力を込めて押すがびくともしない。どこか真新しい感じのするクリーンな球体とは違って、その扉はどこも錆びついていて、見るからに古びていた。鍵などはかかっていないが、開くかどうかは分からない。もう一度扉を押すが全く動かず、私は取っ手をしっかりと握り締め、扉を思い切り引いた。やはり開かない。と、思ったがその瞬間、錆びた扉はくたびれたブランコのような音を発し、ほんの少し開いたのだ。私は開いた扉のすき間に手を入れて、また扉を引いた。扉は重く、錆で思うように動かないが、少しずつ開いていく。
 勢いをつけてこじ開けているうちに、やがて扉は、私が通れそうになるまで開いていた。
 恐る恐る、扉の中──白い球体の内部──を覗きこむ。扉の向こうの世界は──、輝くように白かった。


 私は背後の扉を少し気にしながらも、再び目の前の樹木へ目線を戻した。淡く白い光を放つ一本の樹と背後の扉だけが球体の中の白い世界に存在するものだった。私は注意深くその樹を眺めた。不思議な方向へ折れ曲がる枝を目で追っていく。
 ふと、私は枝の一つに、小さなピンク色の玉が、まるで木の実のように下がっているのを見つけた。目を凝らして、それを見つめる。玉は、あの時に見た夜空に輝くピンクと同じような色を持っていた。手を伸ばし触れようとするが、玉の位置が高く届かなかった。
 少しためらわれるが、私は樹の幹を登り、枝を掴んだ。枝はとても細いが、驚くほど強い。折れる前に、曲がりもしなかった。少し樹を登ったところで、あの玉にようやく届きそうになった。腕を思い切り伸ばして──、指の先が、ピンク色の玉に触れた。  指で掴み、引っ張ると簡単に取れてしまった。樹から飛び降りると、私は手の中で淡く光る、ピンクの玉を見つめた。手でそれを覆い、暗くして見るとそれは、やはり夜空に光ったあの光球とそっくりだった。
 これは、何なのだろうか? この奇妙な樹の、果実かもしれない。玉はとても硬く、直径三センチほどしかない割りに、ずっしりと重かった。
 この玉は、あの天空の光球なのか? もしかして、あれはこの手の中の玉と同じもので、この樹は、その“種子”が育ったものなのだろうか? 理解できないことは、あまりにも多かったが、腕時計を見ると、すでにこの工場跡へやって来てから、二時間近く経っていた。私は、その玉を持ち、とりあえず今日は一時やめにして、扉を出て行った。


 ──そして、今朝、それが取れた。
 私があのピンク色の玉を見つけてから、ちょうど四週間目のこと。それを見つけて、家へ持ち帰ったその後に、私は興味本位から、家の庭にそれを埋めてみた。もしかしたらあの球体の中で見た樹のようなものが、ここから生まれるのかもしれないと期待して。
 玉を地面に埋めてから、わずか三日目で、小さな白色の芽のようなものが生え出した。私は驚きつつも、その芽があの樹のようになるまで、育ててみようと思っていた。
 この植物──か、どうかは未だにはっきりしない──は、水を必要としなかった。日々少しずつ大きくなっていくそれに、私は水をやったりもしたが、思い起こせばあの光球が工場跡に墜落してから、私がそれを見つけるまでの四週間、全くと言っていいほど雨は降っていないし、それ以前にあの樹は球体の中にあったのだ。水をやってもやらなくても、樹の生長には何の関わりも無かった。私は庭に生えるそれを時々眺めていたが、それは見る見るうちに大きく、育っていくのだった。
 そして、今日。ついに今日だ。一本の樹へと生長したそれの枝に、全く同じ、ピンク色の玉が発生したのだ。樹は光るかのような純白。あの玉は、やはりこの樹の種子だったのだろう。
 私は樹から飛び降りて、手の中のピンク色の玉を見つめた。これが何かは詳しく分からないが、それを不思議と、愛しく思ってしまう私がいた。


原稿用紙:11枚
2007/12/22/Sat.


あとがき


「超連携物語」で企画に挙がった「それが取れた朝」というタイトルの小説。
タイトルを私が勝手に決めて「さあみんな書けー!!」と言って進めていったんですが、
思い起こせばなかなかこのタイトルは面白そうな材料だなと思ったので、
一人で独自に書き進めてしまいました(爆
結局「超連携物語」の完成よりもはるかに早く書き上げてしまって、
今後「それが取れた朝・連携バージョン」と本作「それが取れた朝」にどんな違いが生まれるのか、
楽しみでありつつもやっぱりカオスになるんだろうなと嘆いていたり(爆


ちなみに、今回文章を書くにあたって気をつけたことは以下の三つ。
・「……」を使わない。(その代わり「──」が多用されてますなー)
・「それ」が何かというのをボカす。(成功したと言えばしてると思うんですが、こんがらがってきます)
・主人公の名前など、情報を明かさない。(名前はおろか年齢、性別も出てません。朝がヒマな職種(?)の方なんでしょうな)

ストーリーは……、単純に言ってしまえば「『私』が『それ』を探す物語」、そのままですな(爆
全体的に起伏が無くて、淡々と進んでる割に展開が唐突だったりとか……、
これはそういう作風なんじゃなくて……、
あんまり書きなれてないせいかな
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